卒業研究

 

02  

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《論文》  

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『ボランティアの困難』  星野貴彦

 本稿ではボランティアという概念が原理的に内包している困難について考察を行った。一般的に自発性/公共性/無償性がボランティアの要件とされるが、それは「する側」の論理でしかない。本稿ではボランティアを「する側」と「される側」の肯定的な関係性のなかで立ち現れる儚いものと考える。そのうえで、ボランティアに対する共同体論的な立場からの称揚を問題視し、「ボランティアをするべきである」というような言説を、リベラリズムの立場から強く否定する。本稿は、ボランティアに付与された鈍重な意味性を脱構築し、自己変容と他者受容に<まよい>ながらもボランティアをする人々の肯定を目指し、メッセージとしてのボランティアに耳を傾ける試みである。

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『選択行為としてのアジェンダ・セッティング―民主主義の哲学的基礎付けへの批判』 保田幸子  

本稿では,まず,現代の民主主義あり方に異議を唱え,新たなモデルを提唱しようとする諸研究において,バクラックとバラッツやルークスの権力論で人々の持つ苦情やニーズが表面化しないということが指摘されていたにもかかわらず,アジェンダ・セッティングという問題がおろそかにされがちであったことを指摘する。その上で、なぜアジェンダ・セティングという問題を従来の枠組みで捉えることが難しいのかの原因を、何のバイアスもかかっていないゼロ地点をスタートとしたゴールまでの道のり、というモデルで、政治哲学が理論モデルを構築していったことに求める。アジェンダ・セッティングとは過去にいかなる問題がアジェンダとして浮かび上がったのかに左右され、現在のアジェンダ・セッティングはこれから先未来のアジェンダを決定する。これは、アジェンダ・セッティングという問題を通じて、ゼロ地点から社会規範を構築していくすべてのモデルに対する批判の試みである。

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『イメージ偏重社会-キッチュ/ノスタルジア/アイデンティティ』 名波薫

摂食障害という病を経験し、克服へ向けて努力する一人の女性の話を中心に、

その病の要因について、家族関係、女性という性、身体感覚、イメージ偏重とい

う社会風潮などの観点から分析する。

 第二章以降では、大規模な消費社会の中で、人とものの関係がどのようなものとなっているのか、また、あらゆるものの商品化の傾向が、私たちの生活にどのように影響しているのかということについて、商品化とキッチュ化ということを合わせて考えていく。

また、イメージの溢れる社会の中で、今自分たちはそのイメージとどのように関わり、

どのように今後関わっていくのかということについて、検討していく。

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『うつくしきかな異性愛社会-クィア理論考察そしてセクシュアリティの考察』 藤澤順一  

現在自分たちを取り囲んでいる異性愛社会について考えてみよう。それは単にセクシュアル・マイノリティを擁護したり推奨したり賛美したりするものではなく。当たり前としていることがどれだけ簡単に自分の考え方を支配しているかについてすこしだけ考えてみる。そしてそれをクィア理論を中心に考えていくとする。自分たちがいかに当たり前という状況において自分たちがそのためにクローゼットになっているか。それはセクシュアル・マイノリティだけの問題ではなくセクシュアル・マジョリティにも考えてみなてほしい。自分にとって当たり前のことを崩してみてはいががでしょう。そんなことをしてみましょう。そんな世界にしてみませんか。

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『魅力~受容とアイデンティティと居場所感』 山口夕貴子

「魅力」とは何だろうか?人が人に対し、何らかの魅力を感じるとき、そこには容姿、性格、社会的地位、態度、環境、様々な要因が複雑に絡み合う。しかし、重要なものはそれらの他にある。それは、「受容」の魅力である。私は魅力度=受容度と考える。時間がたつにつれ、関係が親密になるにつれ、上に挙げた魅力は二の次になってくるのである。私はより重要な、本質的な魅力について考えたい。そして、その「受容」の魅力には、「アイデンティティ」と「居場所感」が深く関わってくる。この二つは人間の精神構造の根本ではないかと私は考える。「受容」「アイデンティティ」「居場所感」この三つを軸に、魅力のメカニズムを考察したいと思う。

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『お笑い~お笑い社会学をつくろう』 兜木悠介

要約まだかい? まああだだよ。

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『現代金券ショップ考~金券ショップの活用、そして信頼について』 菅本かおる 

利用したことがない人にとっては入りずらい金券ショップだが、普段購入するチケットを数%安く販売している。金券ショップを日常生活にうまく取り入れられるように、使って得する、利用しやすいチケットを紹介している。また、金券ショップは日本の出来事とも密接に関係しているため、2003年の新聞記事等を織り交ぜながら日本の出来事と影響を受けたチケットについて述べていく。偽造チケットが出回る金券ショップにおける信頼を、アルバイト経験から探っていく。

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『ネットオークションにおける信頼の獲得とオークションビジネスの確立』 渡辺郁 

本研究の目的は第一に個人間取引における「信頼」について考えることである。そのためにYAHOO!オークションで出品者として実践してきたことをデータと経験に基づいて考察する。そしてその考察を元にオークションビジネスの成功者となるための方法を模索してゆくことが第二の目的である。卒業論文として以上のことを記述していくつもりであるが、文献の頼らず、参考にするのはあくまで自らの体験とデータであるので内容は個人的体験記のようなものとして位置づけたい。

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『リノベーションの射程~東京という「愛らしくもダメな場所」を舞台にして』 漆山乃介 

リノベーションについて考えることは、建築の持っているポテンシャルを一生懸命考えるということではないかと思う。リノベーションの場合であれば、一枚の壁が立っていれば、それがどういう価値を持っているのかつまりどのように活かせるのかを考えざるを得ない。私は、混沌とした東京の現状にインスパイアされる一方で、何か空間的にはいまひとつ煮え切らずくすぶり続ける東京の姿に不満を感じている。その愛らしくもダメな東京という場所に、リノベーションという手法で介入することで、東京の潜在的な可能性や魅力を引き出すことが可能かどうか、そのことを考察していきたい。

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《作品》  

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『ホモ・アクアリウス~引用/社会学なるもの』【アートブック】 中澤壮介+久野聡紀 

引用社会学の実践

私達は引用社会学という新たな学問を提案します。参考資料として『ホモ・アフェクトス』を読んで思ったことや感動したことを引用という手段で作品にした『ホモ・アクアリウス 引用/社会学なるもの』を制作します。引用は「パクリ」ではありません。そこには作者の意図するもの、主張があります。悩める現代の若者にとっての救済措置の一つである「自分の物語を書く/描く」(社会学する)という行為を通して、社会学することの意義、社会的動物とは何か、芸術とは、恋愛とは、青春とは、という日常生活を取り巻く「私」の「想い」を表現したいと思います。主題として「パンク」を扱っていますが、パンクを考察した社会学でもなければパンクが書いた社会学でもありません。これはパンクが「読める」社会学です。

「社会学することも自己表現の一つである」

               岡原正幸『ホモ・アフェクトス』世界思想社

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『批評サイトHz』【WEB】『情報化社会の分析と倫理と実践』【論文】 香月浩一 

家族の温かい食卓と、牛丼一杯280円。どうして私たちはそこに差異のまなざしをむけるのだろうか。文章や絵画などの表象文化体験から衣食住体験まで、人間のありとあらゆる体験を序列化するメカニズムを解明する。あらゆる体験にまなざしがむけられるということは、私たちの体験はいつも既視感に襲われるということである。では、私たちが地に足つけたリアリティある生活を営むにはどうすればよいのか、次にそのことを倫理として考察した。そして最後に、いままでの分析と倫理をもとにした実践例を総括する。

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03  

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《論文》  

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『知的エロス』 中嶋真希 

日本書紀で、伊弉諾(いざなぎ)尊は、伊弉冊(いざなみ)尊に向かって「女性特有の部分と男性特有の部分を合わせ、補い合って国を生もうではないか」と言った。性感帯がセックスを積み重ねることで開発されていくように、セクシャリティは他者を吸収することよって開花されていく。そして、自己を解放することで、精神的オーガズムが獲得される。人間の衝動を突き動かすエロティシズムとは何か。私のセクシャリティが形成されていく過程とセックス観を紐解きながら、言葉と肉体、精神の交わり、そして知的にエロティシズムを語る術について論じる。

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『少女マンガにみる「男装の麗人」 -少女マンガの主人公の男装の時代変容の考察から-』 宮嶋伸 

近年男女の境界線がぼやけるなか、マンガという領域には依然としてジェンダーによる区分が激しい。なかでも特にジェンダー表象の強いのは少女マンガである。それは長編ストーリーマンガの起源とされる『リボンの騎士』において「男装の麗人」という男装のヒロインが描かれ、その後のマンガに多大なる影響を与えたためである。『リボンの騎士』が描かれたのは1950年代、まだ少女たちが少女という像を逸脱し、自由に行動できない時代であり、少女が「戦い」という行動を得るには、男のふりをしなければならなかった。それから50年という年月がすぎ、少女たちをとりまく環境は大きく変化した。少女たちは「男装」という手段をつかわなくても「戦い」という行動を得ることができるようになった。しかし、そういった時代変容にもかかわらず、依然として少女マンガは「男装の麗人」を描き続け、少女たちに支持されている。時代が変わっても「男装の麗人」が描かれるのはなぜか。また彼女たちの送るメッセージとは何か。「男装の麗人」、そして彼女たちをとりまくものから、その問いに答える。

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『働けない女性たち』 長田絵美  

本稿の目的は、「男女共同参画」が謳われ「男性―外、女性―内」の構図を崩そうという風潮の中で女性がどう生きるべきかを考察することである。女性の人生の決定要因がどのような「結婚」をするかではなく、いかに「労働」するかとなりつつある現状を踏まえ、現在でも根強く残る労働市場での女性差別や女性自身が抱える性別役割規範のしがらみといった「男女共同参画社会」実現への問題点を指摘する。その上で女性が働きながら生きていける社会の構築を「母と労働の両立」の観点から検討する。また同時に近年指摘されているような上層・下層への二極化していきつつある社会の中で、女性が労働市場において社会の下層へと導かれ、家庭内において社会階層から隔離された存在とされるシステムを明らかにする。

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『批評:村上隆 〈アートなき日本におけるアート表現の可能性と有効性〉』 高橋身奈  

第二次世界大戦後、GHQによって特権階級は解体され、特権階級によって庇護されることで成り立っていた「芸術」の枠組みも解体された。

これにより、芸術は誰にでも開かれたものであり、誰もが受容し参加することのできる徹底的に民主的な存在へと変化していった。

ヒエラルキックな構造を失った社会において美術はもはや文化の上位に位置しているとは言えない。戦後民主主義の下、ハイアートもサブカルチャーもすべて等価値に並べられ、表層上はフラットな社会を生み出した。フラットに並べられたジャンルの一つに過ぎないアートがいかにして意味と強度を保つことができるのだろうか。

この論文においては、オタク的作品をモチーフにしながら日本におけるリアルな表現の場を追求しているアーティスト村上隆の作品と戦略を批評し、今後の日本におけるアートの可能性と有効性について論じる。

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『カルチャー消費に見られる情報格差と権力』 猪野大輔 

 今現在、一見、日本全国で同じ商品が買えるように見える。確かに、流通の発展によって以前より大幅に均質化さているだろう。しかし、文化産業が生み出す商品は、一部の限られた人たちに再生産されており、文化接触も一部の人たちに限られているのが現状である。

 第1章では、定義を。第2章では、消費に至るまでの情報の重要性を。第3章では、空間、環境が人の文化接触に与える影響を。第4章では、学歴資本と文化資本の関係を論じ、今現在の日本におけるカルチャー消費から見られる社会構造、情報格差を考察していく。

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『KDM plus~なぜタブーを語ることは許されないのか』 小林比呂武 17年度  

  本稿の目的はタブーについてまずは考え、実際にタブーと呼ばれる現象の成立のひとつであるエイズタブーについて考察する。タブー化されていくことが差別者―被差別者、さらには圧倒的に存在するその他第三者にもマイナスであるという点について考える。そして、「当事者と他人」という構造から一歩抜き出て、タブーから解放された風通しの良い対話を可能にする関係構築のためのヒントを「感情公共性」や「市場原理の導入」といった社会事例の中から探っていき、我々の身近なタブーへの応用の糸口を探っていきたいと思う。その中で慶應義塾大学文学部岡原研究会の中で企画されたオリジナルコンドーム販売プロジェクト「k-dom」プロジェクトに関しても少し触れ、今後のプロジェクトにおいて検討すべき課題についても提示したい。

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『戦争とアート ―アートは平和を導けるのか―』 砂山絵理子 

世の中には、戦争にまつわる「アート」がたくさん存在する。戦争を受けて何かを「表現」しようとする人々は、どのような想いがあって行動を起こすのだろうか。またその「アート」が反戦や平和を願うものであった場合、どれほどの効果・影響があるのだろうか。それがこの論文の問題意識である。第一章は「戦争とアート」と題し、戦争を描いた、または戦争から影響を受けた「アート」を広範囲から取り上げる。第二章では「戦時下におけるアートの役割」をさまざまな人の考えを紹介しながら考察する。第三章では「戦争と記憶」について、戦争がどのように記憶として受け継がれていくのかを調べる。第四章では、戦争に関する「アート」を表現する方法について見ていく。

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『「できちゃった婚・つくっちゃった婚」のすゝめ―結婚の1つの選択肢としての「できっちゃった婚」の提案―』 若林桃子 

現代の日本社会は、未婚化、晩婚化が進行している社会です。それは、現代が様々な場面において、多くの選択肢から自分自身で道を選び取っていかなければならない時代だからです。そうしたライフスタイルの多様化に伴い、結婚もまた以前の一般的達成課題から1つの選択肢へと移行している昨今、結婚の意志はあっても自由な状態に安住し、また、希望の選択肢が多すぎて持て余し、なかなか結婚という選択肢が選べなくなっている現状があります。そして、それは特に若年層の女性において顕著に言えることです。そんな欲張りな現代の女性に「できちゃった婚」を結婚の1つのきっかけとして提案します。提案の対象はある程度結婚についても視野にあり、年齢的にも出産を考えれば妥当なカップル。そしてそれなりの職業キャリアを持ち、自分のやりたい道を歩んできているが、結婚願望もあり、子どもも欲しい、それでも結婚という言葉がでてこないというカップルです。そんなカップルに、私は計画性を持った「できちゃった婚」つまり、「つくっちゃった婚」を提案します。

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『山本政志・その方向性 』 溝上郁夫 

 現在私は与えられた自由を謳歌することもできず、もてあまし、捨てる決断さえできずにいる。そんな私は方向を見出したくて、映画監督の山本政志を追うことで、それを見極めようとする。山本が圧倒的に自由に見えるのはなぜか?私のいう自由とは全く違う次元の自由を体現している所以は、彼の「越境性」や一見逆に感じる「求心性」、また「楽天主義」のなかに見出せる。「映画と人生を区別しない」というかれは映画製作において、なにものにもコントロールされることなく、その人生で体で感じたものだけ、つまり自分自身だけを信じ、強い意思と軽さをもって取り組む。それは圧倒的自由ば姿勢だった。ただ彼を追うことに終始した本稿は、私にある方向性を与えてくれた。それはくだらない自由なら捨ててしまい、本当の自由を感じようという彼の拳による激励だった。

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《作品》  

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『ヒヨシエイジ2003』【イベント】『港北区日吉地域の文化コミュニティデザインにおける「ヒヨシエイジ2003」プロジェクト活動報告』【報告書】 井口拓磨

 

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『overdyed time box』【映像】 宮崎恭輔 (芦葉昇平/樫尾ゼミとの共作)  

大学二年次に作成した自分史に加え、新たにそれ以降の自らのライフストーリーを作成し、それを基盤として映像作品を制作しました。

 

 自分史は、主にインタビュー形式でそれぞれのテーマにアプローチし、記録された言葉から映像というかたちに再構成されたものです。

 当作品の26分間は、4つの要素に分類され、ランウェイコレクションのファッショングラビアを使用し、自らの感性や価値観等をコンセプトとしたシーン、実際の素材となったインタービュー、自分たちの大学生活4年間というストーリーをデフォルメしたシーン、そして今までお世話になった方々に参加していただいたシーンといった4つのテーマによって構成されています。

 先行研究として引用させて頂いた、「語りの生」という概念性に基づいて、自らの語りによる自己分析と自己改善を主たる意義としています。

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『クラブ・レキシントン』【小説】 吉田舞

様々な感情や欲望が渦を巻く、深夜の街、六本木。実在する一つのクラブをモデルとしたタイトルの『クラブ・レキシントン』は、その象徴のように私には思える。そんなレキシントンで見え隠れする恋愛。これは、ゼミの三田祭のテーマでもあり、そして世界共通の普遍的・永久的テーマでもある。一つとして同じ形の恋愛などない。そして同じ恋愛を共有している者同士でも、その捉え方や求めるものは違ってくる。そんな様々な恋愛のカタチを、レキシントンという非日常空間を舞台に、自らの体験やフィールドワークをもとに自己と向き合った結果としての自分自身の思想・感情を加えて、描く。また、四話の短編の背景として用いた雨は、本作品の隠れた裏テーマにもなっている。

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『Company「出」/能オペラ「マクベス」ロンドン公演』【プロデュース】 結城歓

出 Company IZURU

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04  

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《論文》  

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『No categorization, no category ~「わけへだてのない」の先にある希望』 神崎絢子 

世の中、ともすれば何事も楽な方向に流れがちだ。言葉遣いしかり、大量生産しかり、生きることまでもしかり。楽な方向に流れるためには、何事も枠にいれてしまえばいい!とばかりに、マスコミたるもの、次々とカテゴライズしてゆく。

しかし。けれども。その枠に入りきらないもの、はまらないもの、入れられても飛び出してしまうもの。そんな「モノ」たちに愛着をもっていたい。そして執着したい。

犬童一心監督の映画も、美輪明宏さんの存在も、中原淳一さんの絵も寺山修司の詩も・・そして福山雅治の声も・・日々「死にそう」といいつつ、思いつつ本当は誰よりも「生きていたい」自分がいつもの絶望タイムにみかける希望のかけらたち。

そんな希望たちを自分なりに集めてみました。それでもいまを生きてゆきたいから!

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『固有名をめぐる哲学的考察-指示の因果説再考-』 中野 雄介

現代の固有名論には、固有名を記述に還元できるとする「記述説」(ラッセル、サール)と還元できないとする「指示の因果説」(クリプキ、ドネラン、パトナム)の2つの相対する理論が存在する。本論文では、クリプキの「指示の因果説」における「純粋な伝達経路」と「命名儀式」の問題を再検討する。前者は東=デリダの「郵便空間」の議論を導入し批判し、後者においては固有名論の実存論的転回を図った柄谷行人の「単独性」という概念を援用し再解釈することで、原理的な(超越論的な)命名儀式の概念の構築を試みる。

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『表現する、ということ ~ファッションを用いて~』 荒井利佳  

衣服には大きく分けて二つの側面がある。身体の保護・温度調節などの機能的面と、自己表現・社会環境を表すという記号的面である。日本に主観を置きながら、集団や社会の秩序を表すアイコンとしての衣服、流行という形で社会を切り取り映し出す衣服、デザイナーや企業によりスタイルを主張し続ける衣服を取り上げる。私たちはどうして衣服に気を使い、どうして流行を追いかけるのか。服を着る、ということの本当の意味とはなんなのかを考えていく。

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『日本におけるストリートダンスの現状と未来』 川端慶子

ここ二三年で急増したストリートダンサー達。それに伴い増えるダンスイベントやダンススクール。そんなダンサー達が増える一方で、ダンスの世界は行き先が見えない。曖昧で不安定な世界。そんな世界にいて、ダンサー達は不安ではないのか。そんな世界に希望はあるのか。明るい未来はあるのか。ストリートダンスの現状を捉え、自分の経験も交えながら、この疑問について考えていく。 

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『「恋愛」と「結婚」』 大司奈緒 

現代を生きる私たちは当たり前のように経験する「恋愛」。現代を生きる私たちの人生には欠くことのできない「恋愛」。しかしはたして歴史でもそのように捉えられてきたのでしょうか?現代の私たちは恋愛の先に結婚を見据えているようです。紀宮清子さんの婚約内定が発表されると、まわりのみんなも同じように結婚願望を持ちます。儀式としての結婚と、私たちの「恋愛感情」の先にある結婚。その違いや、恋愛という感情、その過程について考えていきます。

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『不安に踊るニッポン人!』 桂亜沙美

保証のない未来。錯綜する情報と、何を信じていいかわからない混乱。浅く広がる人間関係と、拠り所のない不安。今こうした<漠とした不安感>が、まるで転移していく癌のように、日本社会の中で静かに増殖され続けてはいないだろうか?この論文で私が主張したいことーそれは、「混迷を極めた現代社会では『不安を排除』するのではなく『不安とともに生きる』ことが大切である」ということだ。その主張を裏付けるために、本文では「不安を排除しようとすればするほど、かえって不安は大きくなる」という現代社会のロジックを証明する。「おもいっきりテレビ」などのメディアがいかにして人々の不安感情を煽り、またダイエット食品や癒しグッズなどの「不安対策産業」がいかなる悪循環の構造を作り上げているのか。不安が増殖されていく過程とメカニズムを、私なりの観点から分析していく。実体のない安心を求めるが故に、かえって不安に踊る私たちニッポン人の<ジレンマ>について考え、最終的には「不安とどのように生きていけばよいのか」という今後の人生の指標になるような結論を導き出したい。

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『日常と非日常』【映像・テキスト】溝添一馬 

フーリガン、ハリウッド映画、旅、ウッドストック(本文にはないけれど例えば)から、僕の面白くもなんともない普通の日常までを「祝祭」という切り口で考察する。日常から非日常へと導く唯一の手続きである「祝祭」。そして感情放出において極めて有効な手段である「祝祭」。僕らにとっての「祝祭」とは一体どのようなものであり、役割を果たすのか。そしてもし「祝祭」が「祝祭」たりえなくなったとすれば、僕らはどのような事態に陥るのか。現代までの「祝祭」のモデルを分析しつつ、新たに「プチ祝祭」そして「カタルシス過剰の祝祭」というモデルを提唱する、「祝祭」考察ツアーを決行したい。

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『匂い、性~人間的なもの~』藪田彩野   

制汗剤、口臭スプレー、脱臭シャンプー。消臭グッズは日々進化し、その種類も増える一方である。人間は生きている限り、匂いを発し続ける。私たちから匂いをとることはできない。しかし現代の日本人は自らの匂いを認められず、狂ったように匂いを消し続けている。

かつて私たちの祖先は異性の放つ匂いによって発情し、交尾した。体臭は魅力であり、体臭によって性的興奮を得た。発情期をなくした今でも、匂いと性が関わっていることを私たちは経験から知っている。

無臭化する日本人、匂いと性の関わり。これらの問題から、現代日本人の性に関わるコミュニケーションの希薄さについて考えていきたい。

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『「キク」といい』 金井美沙子  

耳が正常に働くから、聞こえてくる音、音、音。それは日常であり、時にうざったくもあり、時に心揺さぶられる。自分以外の人をキク、街の音をキク、音楽をキク、そういった場面場面で聞くことが個人の精神、生活にどう影響を及ぼしているかを考えたい。色々な意味を持つ「キク」の垣根を取っ払い、誰もがひとりではつくれない関係性の中で日々聞きながら生活していること、そして意識して「キク」ことをいいこととして文字にしたい。

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『体験型音楽モデル』 村瀬陽亮 

音楽は、その時その場所において演奏され、消えて無くなってしまうものであった。このような過去の神話は戦後、メディアの発達と大衆消費社会によってもたらされたレコード神話によって忘れ去られてしまう。本文ではデジタルメディアの発展とダンスカルチャーの世界的な拡大、というの2つの流れによってレコード神話は崩れようとしており、また人々の意識の中で過去の神話が復活しつつあるという事を論じていく。

 

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《作品》  

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『美味なるもの/草笛で』【映像・脚本】  桑原健  

「美味なるもの」…大学生の主人公は、学校の帰り道に見つけた、ウインナーを食べる甲虫を自宅に持ち帰り面白がって次々にウインナーを与える。すると、甲虫がウインナーを食べるその瞬間、「パリッ」と小気味よい官能的な音がすることに気付く。主人公はその音の虜となり、抜け出せなくなってしまう。甲虫を殺すしかもう道はない。その時、謎の女性が現れる。

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『ボクとキミ』【映像・テキスト】  志賀大輔

多種多様なセクシュアリティの存在を認めていこうという流れの中でも、ボクはキミのセクシュアリティによって、自分自身が揺さぶられ、無意識のうちに嫌悪、差別、不安を抱いてしまう。キミと<出>会うことは容易なものではない。しかしながら、キミに動揺しながらも、「ボク」はその都度、自分を作り変え、自分のセクシュアリティを更新していく。

ボクのその履歴を振り返り、ボク自身を知れば、キミと出会うことも出来るのではないか。

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『現在進行形project"Ranz"乱頭』【活動記録アーカイブ製作】  川口剛広   

バンド活動というものそれ自体、その活動そのものをもって社会との関係の中で私は生きる。「乱頭」という小さな社会の中の私、乱頭の外の私。その私を私が、私が活動した、ということをまとめるプロジェクトである。私は現にココに存在している。生きている。死んでない。つまりは「終わっていない」。従ってこのプロジェクトは現在進行なのであり、それ自体が私の生きている証であり、生きていた証である。また、私が確かにそこにいて、ギターを掻き毟って、声を張り上げているその証明であるVTRの中の私と、今の私との対話でもある。

争うことのない、美しい世界へ。

ただ、それだけなのに・・・(咆乞)

 

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『感情ルポ~「ま」みむ アフェクトス~』【ルポルタージュ】 三村祐輔  

「生きてた中で一番幸せです」

 

1992年のバルセロナオリンピックで岩崎恭子は言った。

 

日本を飛び出してバルセロナに3ヶ月の短期留学という道を僕は選んだ。

 

2005年.僕はバルセロナに行って何を思ったのか。一番「幸せ」だったのか。

 

それをどうしても形に残したかった。

 

それがこの感情ルポである。

 

バルセロナに行こう、そう決心するのはそれから2週間もかからなかった。

 

8月13日の午前10時過ぎに予定よりすこし遅れてKL862便は成田空港を飛び立った。

 

結論があいまいなのは今の僕に正しい立ち位置が見つからないからです。

 

それを見つけにいきたいと思います。

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『Sexual Story~自己のセクシュアリティと自己表現としての”語り”~』【テキスト/上演】 宮地香弥  

「自分の今の思いを“語り”によって伝えたい!」という単純な気持ちから始まった企画、Sexual Story.

 大学時代に取り組んだ、カウンセリング=「語り」を用いて、ゼミ・授業・個人的活動=「性」について、現時点での自らの立場を私自身が「語る」。

 「語る」相手は様々。今回は、高校時代・大学時代の友人らをそれぞれのカテゴリーに分け、Sexual Storyを行なった。

Case1では高校の部活の同期・後輩、Case2では大学での友人、Case3では高校時代の友人ながら、大学時代に親交を深めた友人と語った。

 それぞれのケースによって起きる私の「語り」の変化や相互のやり取りの中で生まれるトピックの移り変わり。そこから見える、各メンバーの恋愛観、結婚観、人生観、・・・。そしてそれら全体が映し出す、各メンバーと私自身の関係性など、私の現在の「語り」、「語る」という行為そのものをパッキングすることを目指し、逐語記録とともに記録映像を制作した。

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『作品集』【グラフィックデザイン】足立章太郎   

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『真なる感情投影装置としての美少女ゲーム』【ゲーム】渡會拓馬  

現代社会において、美少女ゲームというジャンルの創作物は、秋葉系オタク文化の典型として評され、一般社会からは異質なものとして受け入れられがちである。しかしながら、ゲームというのは今や日本文化の一翼を担う存在であり、その登場人物や世界観の中には、極めて高い芸術性を有するものもたくさんある。そんな中で私は、青年期や恋愛といったような、人が誰しも一度は経験したような感情を、美少女ゲームという媒体を用いて、ありのままに描き出すことは出来ないかと考えた。オタクであるか否かに関わらず、普遍的に人々に共有できる感情投影装置としての美少女ゲームを私は制作したいと思う。 

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05  

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《論文》  

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(法律学科ゆえ卒業論文なし)  植原佑介

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『携帯電話の持つ社会的機能への熟慮誘発』  中井侑絵  

第三世代携帯電話がもたらした社会的変化について。携帯電話の社会学的機能をもとに今後の携帯電話社会のあり方を考察する。携帯電話は高い移動性と常時接続性により仮想空間と現実社会を混在させ、都市社会の有様や人々のコミュニケーションの形態を変化させてきた。個人化、身体化された携帯電話は自己表現の道具として装飾されるようになり、日本市場に新しい購買嗜好を生んだ。これから携帯電話と人間の関係はどう変わっていくのか予想する。付録:携帯電話社会に生まれたメーカー信仰。フィンランドのノキアを例に、インターンシップを通じて得た内側の視点から世界で成功した理由と、日本での敗因を考える。外資系企業が日本市場で成功するには何が必要か、第1部との関連を経て、提示する。

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『日本人とは―東京ディズニーランド人気の研究から―』  石戸麻紗子  

「ファミリーエンターテイメント」を基本理念に1983年4月15日にウォルト・ディズニーの死を待たずに開園をした東京ディズニーランド(TDL)は、2001年3月31日までの累計入場者数は2億6300万人を超え、日本全員が二回は訪れている計算になった。一歩街を出ると、ディズニーの商品を目にしない日はない。驚異的な人気を誇る東京ディズニーランドの人気の秘密を、日本人の精神的特長、人にとっての遊び、感情、感性などから分析することで、「日本人」そのものを考える。

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『好意の社会学』  笠井豪

好意の生まれる必然性を社会心理学的、社会学的に考える。好意が社会の中でどうゆう役割を担っているか、犯罪、政治、経済などにどうゆう影響を与えているか。好意を起点に社会を見てみて、できることなら具体的な社会問題に当てはめて考える。『家庭の幸福は諸悪の根源』などポジティブなだけでなくむしろ好意が社会に与えるネガティブな面も探りたい。少年犯罪、談合事件とか具体的なモノに落としたい。

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『自由主義の変容~「歴史の終わり」の先にあるもの~』  猪野雅樹 

現在、多くの先進国で、最もメジャーなイデオロギーとなっている自由主義。その自由主義も、誕生からイデオロギーの頂点に立つまでに多くの歴史があった。そしてイデオロギーの最終形態と思われた自由主義も、どうやらまだ変容を続けている。今日の世界からして、「歴史の終わり」説はもはや無意味となってしまっている。ここでは、一次大戦と二次大戦、環境問題の表面化や民族紛争の激化、そして9.11テロなどを振り返りながら自由主義の歴史とこれからについて考えていく。

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『ホモ・リスペクタス―承認されたい生き物としての私』  市村泉  

三万字の自分語り。そんな途方もないものを書くことで明らかにしたいのは、なぜ私は承認されたいのかということでもなければ、どうしたら私は承認されるのかということでもない。ここで試みるのは、誰よりも嫌悪し何よりも執着してきた自分自身とのひとつの和解であり、私は何、という問いへの終止符を打つことでもある(答えを出すことではない)。自分をこれまでの20年余りにわたって形作ってきた出来事、言葉、そういうものを一切の普遍化を排してできるだけ主観に忠実に配置し、「承認する」という行為を自分自身に対して行ってみるという極私的社会学を実践する。

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『自分のための化粧』  近藤恵 

古代から形を変えて受け継がれ、今なお社会の情勢に合わせて変化しつ続ける化粧文化。私はその文化を謳歌し、化粧をすることによる気持ちの高まりを感じていたが、就職活動を控え、ある疑問にぶち当たった。就職活動での型にはまった化粧は何のためにするのか。そもそも、化粧は誰のためにするのか。自分のための化粧という観点から、歴史を辿り現在の化粧文化に触れ、現代社会における化粧の意味や効果について明らかにし、考えていく。

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『自己顕示と自尊心』  萱場至都  

現代社会は様々な要因が重なって、生きづらい世の中と化している。そういった中でもささやかな自己を健康に保ちつつ生きていくには、どうすれば良いのか。その手掛かりは、誰もが自然に持っている欲求の一つ、「自己顕示」にあるというのが私の考えである。本稿の前半部分では主に、現代の日本において女性たちが日常的にどのような「自己顕示」を行っているのかということについて述べている。また、後半部分では国民が精神的に不安定になりがちな今の日本の状況について説明した上で、私たちがいかにして「自己顕示」により、脆弱な自意識と際限のない自己愛に折り合いをつけていくべきかについて論じている。

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『新しい日本フェミニズム~旧フェミニズムの崩壊で生まれた新フェミニズムのいま~』平栗瑞穂 

現在日本で“フェミニズム”として認識される曖昧なフェミニズム。その定義の不可能性・矛盾を取り上げ、新しく生まれつつある事象を新しいフェミニズムとして提案する。知的意識、理論的発想としての拡大してきたはずのフェミニズムは、日本での広まりの中で、その政治的主義主張から生じた実現の不可能性の下、確立をみずにただの反物質化してしまっている。歴史的フェミニズムの成立・発展、日本におけるフェミニズムの流れから、なぜ新旧フェミニズムが発生してしまったのかを明らかにする。過去、フェミニズムがフェミニズムでありえたことを確認し、フェミニズムの成立条件を考察していくなかで、現在の日本で起こっている事象を新フェミニズムと定義していく。そして、その“事実”を現在の日本に生きる私が提案することの意味を考える。

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『私的広告論 ―広告の辿ってきた道、辿る道―』井上慧子  

戦前の日本の広告から始まり、戦時中のプロパガンダや戦後日本の広告の変遷について等。社会に影響を与え、それぞれの時代を象徴してきた広告そのものや、その方法、そして広告を生み出してきた人達にスポットをあて、その時代時代で様々な変化と進化を遂げてきた「広告」たちについて論じる。扱う主なトピックは、片岡敏郎のスモカ歯磨、ヒトラーのラジオ演説、戦時中の日本の各種企業広告、'60年代のTVCM、'70年代のPARCOの広告展開、'80年代におけるコピーライターブームとCIの定着、そして'70年代~現代にかけてのブランディングの変遷を考察した上で、その成功例としてSTARBUCKS COFFEEのブランディング方法について紹介。時代と共に「広告の意義」や「広告そのものの形」は常に変化し続け、それは今も現在進行形で未来へと繋がっている。社会を揺さぶり、人々の生活にインパクトと影響を与えた広告の”今まで”を振り返りつつ、ただ「モノ」を売ったり広めるだけではない広告の力の可能性を考察する。

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『スポーツと社会』  舟本悠一 

本稿では、スポーツ(特に「観る」スポーツ)について、社会の動向とリンクさせながら言及していく。まずは、二章三章で現代スポーツの基礎を築いた近代スポーツの成立と特徴について、近代市民社会成立の背景と絡ませながら論じていく。そして四章では、近代スポーツの特徴を捉えた上で、現代スポーツ(特に日本)の特徴や問題点を指摘する。その際にスポーツを「文化」として捉え、資本主義が隆盛となった経済至上主義の社会との関連性を中心に指摘する。そして最終章では、日本の「スポーツ文化」が発展するための解決策をJリーグの事例などを見ながら自分なりに提案してみたいと思う

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『顔について』  深田悠 

顔はその人の看板であり、履歴書である。

顔面を覆う一枚の皮膚や、それに付着した各パーツには間違いなくその人の過去・現在・未来が映し出されているのだ。

しかし、私たちは自分の顔を知らない。

他人の顔に映る自分の顔。その顔を頼りに日々自分の顔を想像して生きている。

現実に、たえず相互作用的にそういった「駆け引き」を私たちはほぼ無意識的に行っている。

また、その私たちの普遍行為の裏側で糸を引く遺伝子の存在も無視することはできない。全ては「直系遺伝子繁栄」という命題の元に行われているという事実を受け止める必要がある。

兎にも角にも人は「顔」で生きているのだ。

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『Web2.0~「バーチャル」が「リアル」になるとき~』  三谷萌 

ネット産業がめざましく発達する現代、「Web2.0」という言葉が世間を騒がせている。しかし、「Web2.0」という言葉には明確な定義がない。本稿は、Web2.0がどのような概念であるかを明らかにしつつ、それが何故ここまで普及したのか、世の中にどんな影響を与えているのか、これからの未来にどのように発展していくのかを、Web2.0を代表するメディア、企業、現象を取り上げ検証していくものである。

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《作品》  

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『大学生時代に携わった冊子16冊』【雑誌】  保條泰史 

 僕は卒業制作として、学生時代にもっとも力をいれ、ほぼそれのために過ごしてきたと言っても過言ではない、塾生総合研究所というサークルでの「学生出版活動」を提出したい。これらの活動を振り返るに当たって、まず第1部として「学生がフリーペーパーをつくる」ということ自体に言及し、それを踏まえたうえで第2部として自身が大学時代に携わってきた冊子、計16冊(+入会前に制作された1冊)について簡単ではあるが振り返ってみることとする。

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『感情フィードバック論』【映像】   熊谷奈緒子 

クマガイナオコという個人が、周囲から何らかの影響を受け、そして岡原先生との関わりの中で映像を作り、作品を見る者に対して何かを感じさせる。それは閉塞的な中で行なわれたことであっても、クマガイナオコという「私」自身を形成する上で、キーポイントとなった。特に私が大学生活の中でメインに近い社会であった「サークル」の中での私と、その中での人間関係像は、作品そのものの内容には出てこないものの、映像制作の上で大きな意味を持っていた。そこで、今まで語られることのなかった、映像の影の部分や、映像を発信することによって受け手から私が得たものなどを、私小説ブログ「泥中記」を添えて明らかにすることで、より明確な「私」という個人像を浮き彫りにしたいと思っている。そして、よりリアリティを出すために、単なる文章ではなく、映像と言う手法を用いることによって、私らしさを強調するつもりである。

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『11:11』【小説】  大野聖兒

山下一博は大学受験に失敗し浪人することを決意する。単身、予備校の寮に住みながら浪人生活を始めるも勉強はさっぱり進まない。そんなある日、一博は予備校の授業である男に出くわす。彼は一博のことなら何でも知っていた。浪人生の一博とその友達との交流を四季折々の自然や虫、色を交えながら描くことで「今」を考えようとした。また、この文章(を書く行為自体も含め)はある男への追悼の意味も持つ。

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『三田の家リポート』【報告書】  深谷康玄 

大学街プロジェクト

 

MITA house?

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『三田商店街映像マップ』【企画書および実現】  龍史晃 

三田商店街全店舗の店主に、学生が「慶應生および商店街の昔と今」についてインタビューし、コンテンツとしてインターネットで配信する。その際の企画書および企画立案までの経緯を提出します。

慶應の学生の昔と今に焦点を当てることで、学生街としての三田商店街の変遷や新しい側面を見ることができるものを作りたい。そして、この活動企画をキッカケに、学生と商店街との将来的な交流、そのための「三田の家」の拠点化を目指す。卒業までにサンプルコンテンツおよびサイトを作成し、引継ぎをする予定。

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『百人百色』【写真とキャプション】  吉田睦未(06堀田と共同制作)  

人は各々異なる容姿を持ち、また同時に育ってきた環境や境遇によって様々な価値観を持つ。そしてまた、喜怒哀楽などの“感情”も一人ひとり違っている。この“百人百色”写真集は、ある百人の価値観や感情を映し出し、そんな“異”を主張し、また凝縮している。限られた生命の中で私たちは一体どれだけの人々と出会えるだろうか。各々の異、そして“一期一会”を強調すると共に、この写真集を通じて普段なら出会うことのなかった人々に出会ってもらいたい。

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06  

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《論文》  

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『人はなぜTシャツを着るのか?~反抗の象徴』  金順姫 

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『生と死の医療倫理』-医療現場における患者の権利の考察-』 田中秀尚 

最新の医療技術は、他人の臓器をもらって生き延びることや、出生前に胎児の生まれつきの障害を診断することなど、今まで不可能と思われていた多くの治療を可能とした。また、近年、臨床現場における患者の権利は大きな変化をとげ、患者は治療に関する情報を医師によって十分に与えられ、治療に関する選択 (-時にその選択が命を絶つことになろうと-) を行うことが可能となった。こうした現代の終末期および出生に関する医療をテーマに、「患者の権利はどうあるべきか」、ひいては「これからの医療はどうあるべきか」を考察する。

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『ウェブ社会における「私」の変容 -リアルとヴァーチャルの狭間で生きる若者』  山本佳奈

かつて社会で重要な役割を果たしていた共同体や組織は、共有している共通前提が崩壊することによって、流動性の高い社会を作り出し、人間のコミュニケーションの変容をももたらした。これらの事象を背景に、90年代以降のパーソナルメディアに慣れ親しんだ若者が「リアル」と「ヴァーチャル」の間でどのように人間関係を形成し、またこれから先如何に変容していくのか。コミュニケーションメディアの変化と、現代の若者の対人関係から「私」の変容を導き出す。

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『ロラン・バルトにおける「モードの体系」の必然性についてー『彼自身によるロラン・バルト』からみる』  幾代沙緒里  

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『女性のライフスタイル』  塩田裕美子  太田絵里香 

「女の子には出世の道が二つある。

立派な職業人になることと、りっぱな家庭人になること。

職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を 高く売ること)は女性の場合どっちも「出世」なのである。」[モダンガール論]

そもそもこの二択という限られた選択肢に疑問をもちつつ、両者の立場に立って対談を行い、考察を行なう。

~あなたはどちらの生き方に賛同しますか?~  

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『商業デザインとコンセプチュアルアート』(商学部)  川平麻貴   

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『ヒット曲の歌詞に見る「幸福観」の変容』  山口悠衣 

戦後、日本は多くのヒット曲を生み出してきた。時代が変われば当然ヒット曲も変わる。世相を反映するヒット曲の歌詞は、その時代に生きていた人々から多くの共感を生み、そこにはその時代の人々が考える「幸福観」が表れている。敗戦直後の1950年代から、日本が足早に発展を遂げた高度経済成長期、物質的充足から精神的充足へと移行した1970年代、バブル景気とそれが終焉を迎えた後の大不況、そして現在に至るまで、ヒット曲の歌詞にみられる「幸福観」に焦点をあて、「なぜこのような「幸福観」が求められるのか」「人々の考える「幸福観」とは一体なんなのか」ということを考察する。

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『“チアガール”って呼ばないで~チアリーディングのイメージを探る~』  小泉香織

「チア??あ~、あのポンポン持って踊るやつでしょ?」

チアリーディングと言うと、なぜこのようなイメージをする人が多いのか?競技チアリーディングを続けてきた7年間、ずっと抱いてきたこの疑問を明らかにすべく、文献調査、ドラマ・CM・漫画・雑誌などの内容分析、一般の学生78人とチアリーダー92人を対象としたアンケート調査から、チアリーディングのイメージを探る。その上で、日本における「スポーツとしてのチアリーディング」のこれからについて考える。この研究によって、より多くの人に競技チアリーディングを知ってもらえればと思う。

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『NIKKI進化論』  高岡彩映子   

自分の感情を表出する媒体としての個人的な日記から、MixiやブログでWWWに発信される内輪・あるいは全方向的な日記まで、日記の種類は進化してきている。その進化・変化の過程と、その裏にある時代背景を考える。

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『ハケンの品格~人材派遣業だからできるフリーターとの関わり方とは~』  柳沢奈苗    

フリーター問題が深刻となっている現在において「人材派遣業がフリーターを増やしている」という意見も出ているが、はたして現状はどうなのであろうか。そもそもあいまいな概念である「フリーター」とは誰を指し、人材派遣業がどのような仕組みであるのかを理解すると同時に、この二者の関係性を見ていく。また、多様な働き方を提供する人材派遣業だからできる「夢追求型フリーター」をサポートする事業プランを提唱し、今後人材派遣業にはどのような可能性があるのかを考察する。

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「李禹煥 ―関係性の表現を模索する―」(美学美術史学に提出)   今長冬香   

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『かわいくなくては生きていけない―現代女性の「モテ」意識の構築』 佐藤友理恵 

「モテる」―この言葉を意識せずに生活している女性は、この日本に果たして存在するのだろうか。「めちゃモテ」、「モテメイク」、「モテ服」など、こうした言葉を雑誌やテレビ、広告などで目にしない日はあるだろうか。そう、いまやこの「モテ」という言葉は現代女性の生き様、いや、現代女性そのものを象徴する言葉であるのだ。この「モテ」という言葉、そしてそれを象徴する存在である「エビちゃん」のブームを通して、それが誕生した時代背景や、人々の思考を探り、これからの女性の目指すべき指標を考察していこうと考える。

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《作品》  

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『感情喫茶バー・ツンデレラ』 【映像およびイベント制作】  藤春翔子+ 森圭子

「このままでいいのか岡ゼミ」!四日間ある三田祭を、どうせなら楽しく、ゼミ生全員の記憶に刻み付けたい。132教室に記憶を彫刻したい。そんな気持ちが二人を動かした。 「ツンデレ」ワードの集客力とは?メイド服を介する人間の心理作用とは?期間中、教室にアイドルを呼ぶには?客を飽きさせないツンデレ接客の極意とは?眠っていたK-domは完売できるか?ついにゼミ生全員の顔と名前を一致させられるか?

半年以上に渡る企画の準備や、三田祭四日間の全記録。

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『一瞬を閉じ込める―薫る記憶―』 【写真および調香】 水谷友里恵 

記憶とは、視覚・触覚・味覚・嗅覚・聴覚、全ての器官を使って作り出されているものであるが、多くの人は記憶を辿る時、ヴィジュアルな面からのアプローチを行っていく。しかし時に人の記憶は、そうした目に見えるイメージだけに偏りがちになってしまっているよう思える。写真を基に色々なイメージをつなげ、記憶に結びついた感情を一つの香りとして調香し、立体的な記憶の再現を行う。

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『百人百色』【写真とキャプション】  堀田由香里(05吉田と共同制作)  

人は各々異なる容姿を持ち、また同時に育ってきた環境や境遇によって様々な価値観を持つ。そしてまた、喜怒哀楽などの“感情”も一人ひとり違っている。この“百人百色”写真集は、ある百人の価値観や感情を映し出し、そんな“異”を主張し、また凝縮している。限られた生命の中で私たちは一体どれだけの人々と出会えるだろうか。各々の異、そして“一期一会”を強調すると共に、この写真集を通じて普段なら出会うことのなかった人々に出会ってもらいたい。

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『異文化交流』-自己体験の軌跡―【コラージュ作品と分析レポート】 上田めぐみ 

作品の制作と分析を通じて、学生生活を通じて取り組んできた異文化交流の記憶を再編成し、学生時代の集大成としてまとめる。作品では、異文化交流で得た素材(写真等)を一度解体し新しいイメージの再生を試みる。また、分析レポートでは、作品制作の過程と作品の分析を行う。それと同時に、異文化交流に関する自己体験をまとめ、異文化交流によって変化した心情や自分に与えた影響などを分析する。

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『書の芸術性についての考察―「筆蝕」を読み解く』【論文および書作品の写真集とその解説】 富岡明女

 書には絵画のような色彩上の華やかさもなく、こちらから読み解こうとする姿勢がなければ、終始静かに佇んでいるだけのようにも見える。しかし書の美の構造を見てみれば、書が墨と紙と筆だけで表現される非常にシンプルな芸術でありながらも、その中には再現可能な筆蝕のドラマや膨大な歴史的蓄積が潜んでいることが分かる。

 自らの経験と「筆蝕」というキーワードを足がかりに、書を単純な造形芸術でも文字の美的工夫でもなく「書」という独自の芸術たらしめている構造とその芸術性の根拠について明らかにしていく。

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『CROSS』【自主制作ダンス公演映像作品および解説・上演までの記録】武内祐奈+緒方枝里子 

私たち二人が大学4年間で最も力と時間を注いできたこと、それは所属しているストリートダンスサークル、Dancing Crew JADEでの活動に他ならない。

その中でも、私たちが大学2年生の時に執行部を立ち上げ、協賛金集めから演出まで、一年間かけて一から作り上げた自主公演「CROSS」は、二日間で約3000人の観客動員を記録した。「出会い」という意味を込めた「CROSS」というタイトルのもと展開するこの作品を、私たちの大学生活最大の作品として、作品解説や上演までの記録の文章と併せて残していきたいと思う。

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『花椿~日本女性と和~ 着物による「和」再考へのアプローチ』【小紙作品及び解説と考察】  小川原香

国際化した日本に生きる現代の女性にとっての「和」とは。「マナー」や「女性らしさ」など日本的な価値観が近年見直されているのに対し、ファッションは依然海外ブランドへの関心が高い。

自分自身の茶道の経験と調査からの考察と、その考えを基とする、日本女性に向けての着物再考の提案である小紙の作成。

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『女たちの選択― インタビューに学ぶ ―』 【インタビューと考察】  柿沼礼子 

女性の多様な生き方が認められつつある社会。多くの選択肢の中から、自ら見極め決断することを求められる。もちろん正解はない。「女たち」はこれまでどのような選択をし、今何を考え、感じているのか。様々なバックグラウンドを持つ女性9名にお話を伺った。就活生、1年目の社会人、芝居人、経営者…。彼女達のたくましく、しなやかな言葉によって紡がれるメッセージを凝縮したインタビュー集。

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07  

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《論文》  

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「効果的なクチコミについて」 木村暁生  

インターネットの成長によって、マーケティングの活動に『クチコミ』を活用する動きが増えてきている。このような流れの中で「効果的なクチコミとは何なのか」を考察することが論文の目的である。成長を続けるインターネット市場の中でも、SNSやブログ、コミュニティサービスなど特に注目を集めている消費者発信型メディア(Consumer Generated Media)(以下、CGM)と結び付けながら、「クチコミ伝播の仕組み」及び「効果的なクチコミの活用方法」を考察していく。

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「聴覚障害者と共に」 森友衛里香  

「耳から音が入らない」とはどういうことか。

私たちは、毎日音に囲まれて生活していて様々な情報を得ている。そんな私たちにとって、「聞こえない」・「聞こえにくい」といったことが具体的にはどういうことなのか理解しにくい。そして、耳に障害を持つ人たちの日常生活をのぞいてみると、音声の情報がないだけでなく、情報を伝える人々の輪にも入っていきにくいという、生活障害をもたらすことを知った。

聴覚障害という障害を理解しながら、「耳から音が入らない」人たちはどのような生活を送っているのか、またどのように接すればいいのか、という点を重点にして論じていきたい。

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「マインド・コントロールは防げるか」 露木沙枝子  

人の信仰心を悪用し、信者から金品を騙し取るニュースを頻繁に耳にする。客観的に見れば「なぜ騙されてしまうのか」と思うような事件がほとんどだが、被害は一向に減らない。通常の精神状態で通常の判断能力を持っていれば回避できるような内容が多いのは、気付かぬうちにマインド・コントロールされ、正しい判断ができなくなってしまうからではないだろうか。

報道されて明るみになっている事件はごく一部で、知らないところにもこの問題は溢れていると思う。悪意を持ってマインド・コントロールを行なえば、本当に恐ろしい結果を招く可能性も十分にある。我々の生活に悪影響を及ぼしうるマインド・コントロールについてその仕組みを調べ、理解を深めたい。マインド・コントロールから逃れるためのカウンセリングについて、また実際に逃れられたケースにも注目して、防止策に近づくことがこの論文の目的である。

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「共感覚のイメージと真実」 佐藤梓  

「共感覚」という言葉を知っている人はそれ程多くないのではないだろうか。私の周りで共感覚という言葉を知っている人は少ないし、共感覚者だという人も見たことがない。私自身も前から知っていたわけではなく、ここ数年で知った現象である。このように、あまり知られていない「共感覚」であるが、ソーシャル・ネットワーキング・サイトmixiで「共感覚」というコミュニティがつくられている。そしてそのコミュニティ内では、「私は共感覚を持っている」というような「自称共感覚者」が多く存在する。2000人に1人といわれる共感覚者が本当にそんなにもいるのだろうか。「自称共感覚者」の中には、思い込みの人もいるのではないだろうか。そうだとすると、なぜ「自称共感覚者」は増えているのかという疑問がわいたので、そのことについて論じていきたいと思う。

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「本当に人を殺してはいけないのか」 宮澤祐樹?  

「なぜ人を殺してはいけないのか?」というような質問がされることがあるが、これは、当然人は殺してはいけないものだという前提の上での質問である。その前提は本当に正しいものなのか、殺してもいい場合や殺してもいい人はいないのか。どんな理由があろうと人を殺してはいけないという教育をするのに国家は人を殺しているという事実もある。そしてそもそもいけないこととはどういうことなのか、などを考え、記した。

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「女性の社会進出と癒し」 前田由加子 小林真理菜  

昨今女性の社会進出という概念が一般的に共有されつつあるように感じますが、実際どのような状況があるのか、具体的なイメージを抱くことの出来ない人がほとんどなのではないか。

私たちが生きる2009年、現在の女性の社会でのあり方、位置を具体的に明らかにし、これからどのように変化していくのかの見通しを私たちなりに予測したいと考える。

それに比例的に伴うのが多大なストレスであり、現代の女性にとって、どこかで“癒されること”は責務である。女性の社会進出の現状を明らかにし、将来自分自身がどう働きたいのかという展望を持つこと、そして女性も男性もよりよく働ける社会へ少しでも貢献することが本論文の意義である。

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「愛はお金で買えるのか~ホストにはまる女性たち~」 白木優子   

1年という長い時間、愛をお金で買い続けているように感じたホストにはまった女性に焦点を当て、愛という人の目に見えない感情を、最も物質的なお金というもので買えるのかということを考えていきたいと思う。それを考えていく中で、外野にいてはわからなかった恋愛を商売とする世界の仕組みや、愛されることだけを望んでお金を使ったわけではない女性たちの根本にある「寂しさ」という感情に触れ、自分のこれからの恋愛や、本当に人を愛するということはどういうことなのかを探っていこうと思う。

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「競技ダンスにおけるカップルという人間関係」 熊谷紗也子  

競技ダンスとは、男女2人でカップルを組んで踊るダンスである。私は大学4年間、サークルで競技ダンスを続けてきたのだが、この活動の中で一番悩み続けてきたのが、この競技ダンス特有のカップルという人間関係である。競技ダンスのカップルというのは不思議な人間関係であり、またこれほどまでこじれた人間関係というのも初めてであった。このことから、競技ダンスのカップルという関係はどのようなものなのか、なぜこの関係は悪化していってしまうのか、実例を挙げつつ原因を探し出し、解決策を提案いきたい。

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「教育のバリアフリー~障害児共生のために~」 成田亘  

障害者に対する差別、偏見、ステレオタイプ―。3年次に携わったロフトプロジェクトにおいて、現代社会にはこれらの問題が根強く存在することを実感した。

なぜこうした問題があるのだろうか?

その一つの原因として「学校教育」があげられる。ここでは、障害者差別の現状を明らかにした上で、学校教育は障害者に対してどのような認識を生み出してきたのか、また、差別や偏見を感じずに教育がなされるにはどのような制度が求められるのか考察した。そして、今後、障害者教育において学校が果たす役割について言及した。

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《作品》  

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「建物という生き物」  平塚海渡  

建物とは生き物のように成長し、人に迷惑をかける時もあれば幸せにさせることもあり、周りに多くの影響を与え、また、アミューズメント施設、ホテル、住宅、学校など多くの種類があり、人間の顔のように様々な色を持っている。建物という生き物はどのようなものを生み出し、どのようであるべきかを私の経験を通して論じていこうと思う。

彼女募集中です。

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「SOCIETY」-MC-Okahara Project-」【音楽制作】金田知行  

岡原正幸先生をはじめ多くの人とのコラボにより、MC-Okaharaという一部事実を基にしたフィクションを用いて音楽、映像、デザインという多角的なアプローチによってアンチアートの視点からSOCIETYを表現する。

内容は音楽作品(CD),映像作品(DVD)をつくり、ウェブ上でも公開予定。

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「スピリチュアルを笑え  --私自身のライフヒストリ――」【エッセイ】大石みどり  

母に「精神世界」を説かれて育った。セミナーに連れて行かれたりなどはざらだった。

スピリチュアルブームのころ、私は、抗鬱剤を飲んでなんとか学校に通っていた。

しかし、その私を布団から抜けださせたのもスピリチュアルだった。

そうした私自身の経験をもとに、実際に神官を目指す男性、観音様を見たという男の子のインタビュー、参考文献などを交えた上で、それらを私小説的に記した。

ある意味、私自身の22年の「いやなこと」集大成でもある。

それでもなお、今のスピリチュアルと心霊ブームは何が違うのか、スピリチュアルから社会に貢献できるものはないのか、それらを模索したいと思う。

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『Mandolin Meets...』【CD/text】 大塚瑛子  

気づけば中学入学から10年間も続けてきたマンドリン。08年12月の最後のコンサートを以て、長かった私のマンドリン生活も遂に幕を下ろしました。今後「マンドリンを弾くことが生活の中心」なんて言える時を過ごすことはもう二度とないでしょう。次に楽器ケースを開けるのはいつになることやら。

そんな私がマンドリンと真剣に向き合う最後の機会として、たくさんの音色が出せるエレクトーンを伴奏に、マンドリンのための曲をいくつか作りました。Mandolin meets various sounds.

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『1000の自由と孤独の旅路』【小説】鳥越信吾  

ニーチェ、ベンヤミン、サルトル、シェイクスピア、キェルケゴール、寺山修司、ポール・ニザン、永井荷風、サリンジャー、マーク・トウェイン、ヘミングウェイ

僕の好きな作家の思想や言説をわかりやすく小説で表したい。というのがあとづけのテーマです。寸鉄詩として将来の僕に読ませたい、というのが主たる動機です。まだ途中でこれは前編扱いです。描写形式的には模倣をしたくないという思いから、無理して間隙を縫っていくような書き方をしました。少し無理があります。でも満足してます。

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『火を借りたら』【短編映画】小寺光輝 ~ [#ofc12c42]  

日吉を舞台にした映画です。大学生活が終わってしまうのが嫌で嫌でしょうがなく、もし時間を忘れてキャンパスでぼーっと過ごすことができたら・・・と想像してみたことが制作のきっかけになりました。

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『コミュニケーションツールとしてのファッション~MITA GRAFFITI~』【写真・冊子】 麻生暁世・外川彩 

ファッションは自己満足でかまわない、他人の意見は関係ないという意見は意外と多い。

本当に人はおしゃれをする時に他人の目を気にしないのだろうか。

しかしファッションは自己を表現する手段の一つでもあるという意見も多くある。

ファッションが自己表現の手段であるならば、ファッションは自己満足でかまわないという意見には矛盾が生じるのではないか。

なぜならば表現する際に、表現する対象を想定しなければならないし、そこに一種のコミュニケーションが成立するはずだからである。

以上のことをふまえ、人々に撮らせてもらったファッションスナップ写真とインタビューを一つの冊子にまとめ、コミュニケーションツールとしてのファッションを考えていく。

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『意外な真実』【写真とキャプション】 網盛さや香  

意外=思いのほか、案外

真実=嘘、偽りではない本当のこと

真実は、

人が本当のことだと信じていること。

真実は、

人の数だけある。

誰かにとっての真実は、思いのほか本当のこと

「意外な真実」である。

網盛さや香の目で見た「意外な真実」を

写真キャプションでまとめました。

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『早慶本』【ミニコミ雑誌『早慶本』の企画、制作】 原祐樹  

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『離島における地域情報化の現状と課題―鹿児島県十島村(トカラ列島)宝島―』【論文および映像作品】 半澤由加利  

【卒業論文】

 2009年7月22日。今世紀最大の皆既日食をこの日本で見ることが出来る。その一番の観測地として世界的注目をあつめているのが、鹿児島県鹿児島郡十島村、通称トカラ列島と呼ばれている南北およそ160kmに連なる島々である。今回の研究では十島村に焦点をあてて、離島の情報発信の現状を明らかにする。現在、少子高齢化や地方交付税の削減などで苦境に立たされている日本国内の離島が今後生き残っていくためには、島外への戦略的情報発信が不可欠である。この研究は、十島村および宝島における今後のメディア戦略構築の一端を担うものである。

【卒業制作】

 来年度の皆既日食で話題となっている鹿児島県十島村宝島に関する映像作品。メディア・コミュニケーション研究所金山研究会のメンバーとの共同制作です。これまで、島の自然は“秘境・辺境”としてメディアによって取り上げられてきましたが、そこで生活する島民にスポットライトが当てられることはあまりありませんでした。そこで、島に暮らす人々はどんな事を考えて日々を過ごしているのか、島の人たちの生の声を収録し、“宝島を実際に訪れた私たちのドキュメンタリー”としてまとめました。(21分58秒)

(C)2008 慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所 金山智子研究会

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『古田組作品の鎮魂歌~禁断のギャグの説明~』【映像と文章】 古田全人  

過去に制作した古田組作品にささやかな新作を加えた映像作品。

加えて、制作過程の分析・考察を通して、自分自身の笑いの型を探り、願わくば、他者にも理解してもらうためのささやかな文章を添える。

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『私が書いた記事、その他』【新聞記事、雑誌、写真】 大木将裕  

私が「慶應塾生新聞」に書いた記事を一冊にまとめた。2005年から2008年の記事をできる限り時系列で並べ、必要と思われる記事にはコメントを付した。記事へのコメントとは別に、活動のまとめとして短い文章も載せてある。さらに資料として、活動を通じて出会った方の名刺と、取材時に撮影した写真をそれぞれ添付した。2007年に作成し、三田祭で無料配布した雑誌も同封した。また、活動とは直接関係ないが、関連があると思われるものも一緒にまとめてある。ひとつは私(私たち)が個人的に作成した新聞。もうひとつはある出版社でアルバイトをしていたときに関わった記事である。これにもそれぞれコメントを加えた。

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08  

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《論文》  

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『ブックスタートの効果と今後の展開について』酒井万里恵  

 近年、少子化の進行や児童虐待・少年犯罪の増加などの社会問題が深刻化する中で、家庭における親子のコミュニケーションのあり方が問われている。このような問題意識に基づき、親子間のコミュニケーション形成を助ける具体的な取り組みの一つである「ブックスタート」に着目した。ブックスタートが親子間のコミュニケーションにどのような効果をもたらすのかを明らかにすること、また、今年で実施開始から10年目を迎えるこの取り組みが、今後どのように展開していくのかを考察することが本研究の目的である。

 ブックスタートの現状を分析し、先行研究が示してきたその効果を再検討した上でNPOブックスタートへの聞き取り調査を行い、ブックスタートの今後の展開と可能性について考察した。そこから、数値だけでは測ることができない様々な効果を見ることができた。親と子どもの関係においてはもちろんのこと、親と保健師や、親子と地域住民との関係においても、ブックスタートはより一層人々の絆を深めるための「きっかけ」として作用しているのである。

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『ラグジュアリー・ブランドの歴史~ルイ・ヴィトンから見る日本人のブランド志向~』ホァンサン  

概要

 本論文では、「どうして日本人はブランド品が好きなのか?そして、どうしてルイ・ヴィトンなのか?」を起点に、この質問に回答するために、主にラグジュアリー・ブランドの起源や発展、日本進出、日本人のブランド志向とルイ・ヴィトンが日本で成功した理由の関連性の3つのパートに分け、分析や考察したものである。

 ヨーロッパで大多数のラグジュアリー・ブランドは19世紀半ば貴族財として誕生するが、王侯貴族の凋落により20世紀に入ってからココ・シャネルを代表とするデザイナーたちによって奢侈品は大衆化した。日本進出を果たしたのは1970年代頃で、以降4度に渡るブランドブームを引き起こした。一大ブランド大国にまで成長した日本で最も成功したのはルイ・ヴィトンである。日本人のブランド志向は薄い階級概念を社会背景に他者との差別化と集団への同調の二面性をもつ自己表現の結果、ブランドを崇拝する心理が成立した。ルイ・ヴィトンはこのような独特な日本人の心理にマッチした戦略を行ったため成功したのである。

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『現代社会と鬱病―心と身体のバランスを考える―』【絵本形式】 上原典子  

卒業作品を作るにあたって、社会学が包括する分野はとても広いため、テーマを一つに絞るのに色々と迷いました。そのなかでもなぜ、この“鬱”というものを選んだのかと言いますと、大きく二つの理由が挙げられます。まず、私自身以前から心すなわち精神と身体の関係性について興味を持っていました。精神的なストレスやショックが加わると、体調不良に陥ったりするなどということは誰しも経験があるでしょう。私はそのような経験をするたびに、人間という生き物の複雑さと繊細さの不思議を思っていました。「肉体的には何の問題もなかったはずなのに、この症状は一体どこから来たのだろう?」そして、この状態は案外早くに治ってしまう場合もあれば、頑固に長く続く時もありました。「気の持ちようじゃない?」「神経質なのよ。」そう言われれば、それもそうなのかもしれないと片付けることもできましたが、明らかに精神と身体の間にはなにか強い繋がりがあり、無視することができないものだと感じ取っていました。そして、少しでも理解を深めるため、精神と身体をテーマにした本や映画、テレビ番組などを積極的に見るようになりました。これについては後のページに紹介していきたいと思います。また、二つ目の理由は、大学に入学して初めて本格的な鬱病を抱える友人知人と出会い、それまで曖昧にしか捉えていなかった心の病に対する認識が変わったからです。やさしくて頭がよく、勤勉で人当たりも良い。こんな一見何の欠点もなさそうな人が、影で心の病と闘っているという事実は私にとって衝撃であり、また決して無視することのできない問題でもありました。彼らはとても繊細で、考え深く、私が想像していたような接し方では悩みを軽減してあげるのはなかなか難しいことでした。時には、「なぜこんなにも真摯に接しているのに通じないのだろう?」と、私自身暗い気持ちになることもありました。しかし、一方で共感したり、強い人間性をくみ取ることができたりもしました。現代では鬱病に対しさまざまな薬やカウンセリング技術が出てきていますが、心の病であるが故に、完全なる治療法を作るというのは不可能ではないかと思います。しかし、私たちひとりひとりが鬱病に対する知識を深め、心と体におけるバランスを改めて考えるということには、学ぶ点が多くあるのではないでしょうか。鬱病は恥ずかしい病気でも、特別な病気でもないということ。誰しも、いつなんとき現れてもおかしくない、人間特有の病であるということ。これらを本当に理解している人ははたしてどれくらいいるのでしょうか。私たちは現代において、あらゆるものが豊かで便利になった半面、より抽象的で複雑なものに向き合わなくてはならなくなりました。そのことの重要性について、この作品を通して伝えることができればと思います。

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『僕たちに音楽は語れるか? アドルノと表現的実践に向けて』高橋朋之  

 最近の音楽語りの社会的意義の低下の理由とその突破口を考えていく。哲学者・社会学者であり、音楽社会学を提唱し、そして何よりも作曲家でもあったTh.W.アドルノの、今なお影響力のある音楽評論を再検討することに探っていきたい。

 現代行われている、ロックやジャズのように音楽から政治的意義を唱えた音楽語り、歴史を背景に行われる音楽語りの有効性を考えていく。そこで発見されたのは、音楽を歴史や文化に置き換える手法の弱体化であった。一方アドルノの音楽評論で行われているのは、音楽を音楽の表現的実践として考え、その結果社会を考える、音楽を音楽として捉えていく手法であった。その手法の一つとしてアドルノとアイスラーにおける『映画のための作曲』から、「ずれ」という語りの手法を取り出し、はたして突破口になるのか、現代の音楽について検討する。

 

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『写真は〈表現〉以外の何かでありうるか―PROVOKE再考と脱〈表現〉写真の可能性―』 (大原茂一)

写真という芸術には、カメラの大衆への普及期から常に「表現性」の問題が孕まれてきた。この問題が日本で最も先鋭化したのは「PROVOKE」という運動(1968年―1970年)においてである。写真家の中平卓馬、森山大道らは写真の目指すべきものが〈表現〉ではなく〈記録〉であると宣言し、写真の表現性に対する一定の回答を試みた。その後「PROVOKE」は解散し個々の写真家も変遷し変節したものの、彼らの回答は現在でも写真の表現性について語る参照点となりえている。本稿では、当時の運動とその周辺の言説を参照しつつなぜ写真の〈表現〉が問題とされるのかを検討するとともに、ほとんどの写真(「PROVOKE」も含め)は〈表現〉でしかありえないことを確認する。その上で、その後の中平、森山らの活動から(とくに中平の「素朴な写真家」と森山の「無名性」という用語をキーワードとして)〈表現〉写真を乗り越える残された方法を探りたい。

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広井隆太  

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新保奈未  

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飯本耕平  

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《作品》  

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『spiral』&『卒業制作展(藤原と共同制作)』 都築絵理  

作品『spiral』&『卒業制作展(藤原と共同制作)』

『spiral』

服にはその人の「想い出」が残っています。

リメイクという作業はその服の「想い」と共に新たな「想い」を作り出していきます。

交わることは無いけれど、二つの「想い」が共存するモノ。

私は中学3年生の誕生日にミシンを買ってもらい、それからたくさんのリメイクをしてきた。

対象は自分が持っている服と母の服であるが、リメイクしたものには特別の感情が生まれる。

大切にしようという気になるし、なによりその時々の自分が表現されている気がする。

今の私ではそれをリメイクしようとは思わないかもしれないし、思ったにしても違うものを作っているかもしれないのだ。

これにはもちろんその当時の流行、社会情勢が絡んでもいるがそれも含め、自己表現の一種になっているとは思う。

装うということは社会と向き合い社会を感じることであるとも言えるかもしれない。

リメイクで社会は変わる、とまで言わないがエコの観点からも、自己表現の観点からも何かしらの影響を及ぼせるのではないだろうか。

そのような思いから作ったものをいくつか展示したいと思う。

『卒業制作展』

せっかくみんな作品を作るのだったらそれを公開したほうがいい!

それによって私達の作品だけでなく

私達や見に来てくれた人、そこにいる人を含めてすべてが「作品」となる。

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『卒業制作展(都築と共同制作)と展示作品たち』 藤原悠里  

my works++++

書道、写真、服に関する作品を制作しました。

悩んだり挫折したりしながらもひたむきに18年間取り組んできた書道や、

可愛い女の子と海月を追いかけつつたまには真剣に、でも9.5割方下心で撮っている写真、

私の外見のイメージを大きく変えた服など

私は口で自分を表現することがとても苦手なので

作品でなら少しは表現できるかもしれないと思ってずっと作り続けています。

拙い作品作りの通過点として制作展という形で一区切り打ちたいと思い展示しました。

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「作品集」酒井一馬  

[] (37:54)

CD-R

2009.

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Archives (circa 2005-2009)

2005-2009.

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[]は、ほとんどがビートのない曲で繋いだmix CDで、僕のほかに録ってくれた友人がかかわっています。生活のなかで画一的になってしまっている部分、テクノロジーのうえでの情報とかコミュニケーションのやり取りの内に知らず発生するノイズというものに注目しました。そして、さまざまの物事が多様化しているといわれるなかで何かを意識的に模倣すること、似せること、それに責任を負うことを意識し、実践したつもりです。卒業制作展で発表したもの。

アーカイヴスは、学生生活の間に作った学内外でのイベントフライヤーやポスターなど。

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「人体模型」原真奈美  

最近よく目にする○○リボンキャンペーン、なんだかデザイン性が独り歩きを始めているように感じます。

おしゃれなデザインは募金活動としては成功かもしれないけれど、

疾病や予防の啓発活動としては本質をオブラートで包んでしまう存在であると思います。

デザイン性に頼ったモチーフではなくて、もっと人間のグロテスクな面をストレートに表現したい。

そう考えて制作したのが、町田のド○・キホーテの紙粘土を買い占めて、作った「人体模型」でした。

そもそも人間はグロテスクな存在だと思うから。

自らのグロテスクさに向き合うことが、疾病に対する理解の第一歩になるのではないかと思います。

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『EMOTION×GRADATION(写真展&テキスト)』堀内麻里  

社会は人々の感情に影響を及ぼすものに溢れている。365日を生きる日常で、何の刺激も受けず、感情の起伏も起こさないで過ごすことは困難である。人はさまざまな影響の中で生きている。例えば街の至る所で見かける広告・看板。交通機関。自然。四季。動物。人工物。自然現象。顔をしかめて歩くサラリーマン。笑顔の店員さん。大学に入学し、カメラを持ち歩くようになって、世間の情報量の多さに驚くと共に、些細なことにも心動かされる場面に遭遇すること、それに気付くことが増えた。

その中でも、私たちが日常で受けている情報の90%を占めるという視覚からの情報、特に「色彩の及ぼす感情変化」に焦点を当て、分かりやすいよう表情・カラー写真を用いてグラデーションを表現することでメッセージを伝える。

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『朗読作品』&『朗読作品をつくるにあたって取り組んだ事』(論文) 松田礼那  

『朗読作品』

楽譜を楽器で再表現する「音楽=芸術」なら文学作品を声で再表現する「朗読=芸術」と言えるはずと思い、今回は以下のものを収録した朗読作品を作った。

1 夏目漱石「夢十夜」 第一夜

2 夏目漱石「夢十夜」 第三夜

3 谷口和彦「ことば」

4 山下真二「内心Thank you」

5鈴木敏史「手紙」

6小川孝子「ラジオ」

7樹下紘司 「ためらわれる理由」

 

『朗読作品をつくるにあたって取り組んだ事』(論文)

大学の四年間朗読を学んできた私は、その中で声に関する様々な疑問を持ってきた。

この論文は、芸術として朗読作品を卒業制作展に提出するにあたり、声の仕組みや役割について改めて私が学習した知識やワークショップの体験などをまとめたものである。

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Conte's 「Sociology」 宮田楊一  

卒業制作概要

(作品名)

Conte's 「Sociology」

(コンセプト)

社会学専攻で四年間社会学を学んで来たにもかかわらず、いまだに

自分なりの社会学を確立出来ていないことに不甲斐なさを感じた。

大学を通して頑張って来たお笑いを通して、自分なりの社会学を確

立することは出来ないか。この疑問が今回の卒業制作の基本的な動

機となった。

自戒の意味も込め、社会学を分かりやすく理解出来ればいいなとい

思いから、コントという表現形式を用いた。

詳しいことは、提出する予定の卒業制作企画書で説明するのでそち

らを参照して欲しい。

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「あか」小松祐輔  

タイトル

  「あか」

内容:

 漫画作品。

 クオリアの問題をテーマとして取り上げた。

 私のライフワークである「落書き」の枠を超えないように仕上げた。

 トーンを使わず、できるだけ周りにある文房具を使用して描いた。

 

 他人と自分の「感じ」は違うかもしれない、という可能性について、

 この作品を読んだ後、少しでも考えてもらえたら嬉しい。

 読後感は、比較的悪いと思われる。

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オブジェ「マリン」森井健太郎  

「マリンちゃん」

卒業論文、卒業制作は大学生活の集大成。

自分が大学で何を学び何を得たか伝えたい。

少しでも多くの人にわかりやすく、伝えられるよう

1体のマネキンを装飾しメッセージを込めた作品に仕上げた。

       Historical Transaction of Informal finance(広井隆太)

近年ソーシャルという言葉の隆盛と伴い、Micro financeという形でインフォーマルlな形の金融に目が向けられている。しかし一方でMicro financeの要点でもある信頼を元にした金融を日本がはるか昔からおこなってきたことを多くの人々が知らない。そのことを歴史観点から周知すべく、日本におけるインフォーマルな金融の代表例でもある無尽、頼母子講に注視しInformal金融のあり方の変容を記すことが、この論文の目的である。

 

『写真は〈表現〉以外の何かでありうるか―PROVOKE再考と脱〈表現〉写真の可能性―』 (大原茂一)

写真という芸術には、カメラの大衆への普及期から常に「表現性」の問題が孕まれてきた。この問題が日本で最も先鋭化したのは「PROVOKE」という運動(1968年―1970年)においてである。写真家の中平卓馬、森山大道らは写真の目指すべきものが〈表現〉ではなく〈記録〉であると宣言し、写真の表現性に対する一定の回答を試みた。その後「PROVOKE」は解散し個々の写真家も変遷し変節したものの、彼らの回答は現在でも写真の表現性について語る参照点となりえている。本稿では、当時の運動とその周辺の言説を参照しつつなぜ写真の〈表現〉が問題とされるのかを検討するとともに、ほとんどの写真(「PROVOKE」も含め)は〈表現〉でしかありえないことを確認する。その上で、その後の中平、森山らの活動から(とくに中平の「素朴な写真家」と森山の「無名性」という用語をキーワードとして)〈表現〉写真を乗り越える残された方法を探りたい。

 

『パフォーマンス・アートの現在』(新保奈未)

2010年春からの自分のパフォーマンス・アート実践経験をフィール ドワークとして、この分野について過去と現在を広く考察した。こ の論文は、自分自身が、この分野を理解するための道筋であったと 同時に、この分野の存在を知らない方達への導きとなれば良いと考 える。経験からの疑問や発見は、「自由への闘争としてのパフォー マンス・アート。チープであり、跡(ものとしての作品)の残らな い分野であるゆえに、多様な展開をしてきたこと。加えて本来美術 教育が産業としてあるべきではないということ。美術を専門としな い学生の、美術の実践の場として、パフォーマンス・アートを勧め たいということ。」等へ至った。

 

09

 

「デザインに自己投資する時代」  澤近あゆみ

 今の時代、一体どのような商品に人は惹かれていくのか。本研究では、あらゆる分野の商品がデザイン性を重視した販売戦略をとっている現状に着目し、こうした実態の理由およびその流れに乗っていく人々の心理・行動を分析する。携帯電話やインテリア雑貨など身近な製品を取り上げ研究の対象とし、自身のあくまで消費者としての立場から、これまでの専門家の説を噛み砕いていく。

 

『障害者差別の解消に向けて~きょうだいの立場から~』(岸端美沙子)

障害者に向けられる差別のなかでも、障害者の兄弟による障害者差別に着目しました。障害者の兄弟は、障害者家族という差別される存在でありながら、障害者でない自分は障害者を差別しうる存在です。それによる兄弟の葛藤と、障害者差別に組み込まれていく状況を分析しました。まず、日常における兄弟に特有の行動を描写しながら、兄弟による障害者差別を指摘しました。特に、障害者の兄弟は友人との世間話において兄弟が障害者であることを隠すということ、兄弟以外の障害者に対してよき理解者であろうとするということの二点を取り上げ、なぜそうした行動をとることになるのかを論じました。つぎに、文献研究を通じて「差別」と「障害者」の定義を比較・検討し、差別の性質や障害者差別の構造を論じました。さらに、障害者差別の解消方法をいくつか紹介した後、筆者なりの解消方法を提示しました。

 


『エコブームとエコナルシスト』(桑沢美紀)
  近年のエコ‘ブーム’は、メディアや企業が発信元となっているケースが多い。そしてそのブームのターゲットとなっている現代人は ‘エコらしい’生活に自己陶酔し、物事の本質を見極められない「エコナルシスト」になりつつあることに疑問と危機感を抱いた。私達の生活を取り巻く「エコ」の矛盾を探り、それに翻弄されている現代人の心理や生活環境の変化などに注目する。エコをブームで終わらせないためにはどうすれば良いのか。

『教育機会格差と希望格差』(末代紗莉奈)
要約:どのような家庭に生まれるかにより子どもの教育機会に格差が生じ、また希望といった精神的面においても格差が生じている。そこで、先行研究を参考に教育機会格差と希望格差の原因を探る。結果、子どもの教育機会は親の文化的資本の有無で決定するもので、経済的資本はプラスアルファの要素にすぎないことが分かった。また、その中でも親から子へ伝達される将来や社会に対する知識、情報、気づきに格差が生じていることが一番の問題であると考える。子どもの希望格差が生じる根底に教育機会格差があり、両者は親の文化的資本の有無が原因で生まれる。

映画『放浪もどき』(荒井俊介)
作品の背景
・他人の作る自分像への反感
・他人の目を気にしすぎる社会への反発
・KYは本当に悪いのかという疑問
・自分は何か持っている、成功者という「パーソナリティ障害」の大学生の増加
・自分の内を省みない、自分探しと自分を外に求める浅はかさ。自分の殻は柔らかいまま
・初対面の人へ血がづいた時の礼儀「素行の悪い女子が風俗嬢になって礼儀を学ぶ」より
・鬱、死のうと簡単に言う人は、結構彼女とか出来るとそれに夢中になって鬱を忘れる

『なぜ日本は幸福度が低いのか』(宮村つかさ)
温暖な気候、四季の変化に恵まれた自然条件、犯罪の少ない安全な社会、世界では高水準の所得や医療体制、トップレベルの平均寿命。国民が幸福になる準備は整っているはずの日本。しかし、多くの幸福度ランキングでは下位にランクインしている。本論文ではこの行き違いについて様々なデータを用いて考察する。幸福度ランキングの妥当性、一般的に幸福度決定要因とされるものと日本の社会構造との関係性、日本人の言語表現の特性や国民性、「世界一幸福な国」デンマークとの比較を通して、日本の幸福度の低さの原因を探る。

『日本アニメ産業の意義と行方』(瀬戸山貴朗)
いわゆる「サブカルチャー」・「娯楽」としての面が主立つため、どうしても社会的に日の目の当たりにくいアニメ(アニメーション)だが、バブル崩壊後や現在の文化隆盛、日本の復興・振興に力を添えたことは否むことが出来ないだろう。そういった軌跡を読み解き「意義」を確認していきながら、今後の「行方」として、アニメ産業界における展望を確認していく。メインストリームとしては、アニメそのものよりもコンテンツ産業の中のアニメとして取り扱い、日本アニメの外国へのアウトソーシング問題や国内アニメーターの労働環境など、ドメスティック・プロダクトへの姿勢、そして企業コラボレーションや教育、経済、政治など、社会の中での関わり方について論じるものである。

 

「ディズニーランドはなぜこんなにも皆に愛されているのか」(山本茜)

 私は「東京ディズニーランドはなぜこんなにも皆に愛されているのか」というテーマで卒業論文を書きました。これはたくさんの研究者が研究していますが、私はその人気の秘密から、私達が見習うべき研修制度や日常で使用しているソーシャルネットワークが、ディズニーランドやファンの間で使用されていることに注目しました。夢の国である東京ディズニーランドから見習うこと、もしくは日常との繋がりに注目たことで、ディズニーランドの魅力が一層深まりました。

 

「セクシュアルマイノリティのライフプランニング」(藤田侑子)

"セクシュアルマイノリティ"とは、性指向、性自認のいずれか、或はその両方に於いて社会的に少数派とされる者を、外部から(当事者以外から)一括りに定義した時に使われる呼称である。然し実際には、性指向と性自認の組み合わせにより、L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシュアル)、T(トランスジェンダー)、他にもこの論文では言及していないが、性指向に於ける少数派とされるAセクシュアル、性指向、性自認いずれか、又はどちらかに於ける少数派とされるインターセクシュアル等…一概に彼らを一つの呼称でまとめる事は出来ない。非当事者中心社会に於ける、当事者達の職業選択、婚姻、出産、老後等、人生の選択肢について言及する。

 

「大人はなぜファンタジーを読むのか~与えられた保障と魅力~」(斎藤千晶)

ファンタジーは、神話とは違い「一人の作家による虚構」だと認識されている。子供の日常に浸食するのに対し、現代の大人の日常に浸食することはない。これは、現代の大人が科学的法則をもって現実と非現実を区別できることから指摘できる。また、「ファンタジックなリアリズムによる不信の停止」において、読者に「不信の停止」を要求している。嘘だと分かっていても、現代の大人は一時的にファンタジックな要素を真実と認識し、作品が描く創られた世界を楽しんでいる。ファンタジーが

現代の大人に与えているものは、「平易な読書」、「予測できない感情の高揚」「日常に浸食しない」、そして「科学的法則に当てはまらないものへの感情の高揚」という4つの保障である。

 

水野綾香 「所得税の不公平さをめぐる問題の検討」 『税金は私たちの日常生活を支える重要な制度であるが、税金について不公平を 感じる人が多い。中でも担税力に応じて負担を強いることから不公平を感じやす いと思われる所得税について着目し、不公平さを感じる要因やその解決策を検討 していく。特に所得が高額になるほど税負担をすることになる累進課税制度の妥 当性について詳しく考える。今後の自らの活動への戒めになるのではという期待 もこめた。』

神谷美紅 「“族”から“系”への変遷―若者文化の転換期」 戦後の若者文化を振り返ると、1980年代から1990年代半ばにかけて、同じ志向を持つ若者の集団の呼称が“族”から“系”へ変わったという事実が確認できる。ではその変遷は、当時の若者たちの特徴や彼らの文化、社会の出来事とどのように関連しているのだろうか。“系”という言葉が“族”に比べて曖昧・多様・不確実である点を踏まえ、同様に若者のパーソナリティや行動も、変遷の過程でより曖昧で複雑化したのかを明らかにする。

足澤南美 「日本の航空事業の問題点と今後の課題」 日本の航空事業は近年アジア各国に抜かれつつある。その要因は何か。 また、近年日本では航空事業における進展が多いが、そこから日本の航空事業における問題点を見つけ出すことはできないのだろうか。本論文では、日米航空自由化、羽田国際化、外資系LCCの3点に焦点を当てて、それぞれにおける日本航空事業の問題点を他国の航空事業と比較しながら見つけ出していくとともに、それらを踏まえた上で自分なりの視点から、日本の航空事業が今後どのような方向に進んでいくべきかを提言しています。

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平田周大 『ナチスとロックグループに共通する吸引力に関する考察』

「ナチス政権下のドイツ」と「1960年代のアメリカ」において、国民を惹きつけた共通の力(吸引力)に関して論じていく。 それぞれの時代を取り巻く状況が“善対悪”という物語パラダイムに合致していくことを検証し、それが吸引力の根底に働く力、人を盲目的に追従させる力であるという仮説を論証する。

吉田ゆきの 「死の経験に関する一考察」

死別体験が人生を揺るがすほどの体験ではないのではないかという仮定の下、青年期における死別体験がもたらす影響について、死のはじまりや、葬儀形態の変化、死のタブー視化といった、死生観研究の論文や文献を通して考察する。 その上で、死別体験が実際にはどのような変化を現代の青年期の人間にもたらしているのかという具体的な解明を、インタビュー調査によって質的に研究していく。

森島聖 題目「多文化共生社会の実現に向けて」

要約:少子高齢化の影響により「多文化共生社会」の実現に対して能動的に検討しなければならなくなった日本社会が、いかに外国人と秩序形成をしていくべきかについての考察。日本に在住する外国人移民を取り巻く環境と、アメリカ、フランス、カナダの3カ国が多文化共生の実現に向けて行っている政策について調査を行い、日本と移民の間にある言語、生活水準等の壁とその解消法を明らかにする。